ばくらい(莫久来)
ばくらいという珍味があります。漢字で書くと莫久来となります。
実は、私はこのばくらいというものがいったいなんなのか知らずに二度も食べました。
しかも、とてもおいしいと思いながら食べたのです。
このばくらいに出会ったのは都内の某天ぷら屋でした。
そこのお品書きに、酒盜のとなりにこのばくらいがあったのです。
この順番からして、まあいわゆる珍味だろうということは予想がついたのですが、実際なにかは分からない。一緒にいた知人に聞いても知らないと言う。かといって、お店の人に聞くのもなんだなあ。。。なんて考えながら注文したのでした。
すると、運ばれてきたのはちょっとほかのものとは違う洒落た陶器の小さな器。なかにはなにやら塩辛のようなものが入っています。
しかし、ちょっと赤みがかったものが入っているのですね。
それで、ひとくちちょっと食べてみるとこれがおいしい。いわゆる塩辛であろうことは分かるのですが、なにが材料なのかは分からない。
それにこの赤みがかったものが、なんともトマトのような清涼感のある味なのです。
「これ、おいしいねえ」と知人と食べたのですが、知人はこのとき既にひとつのことには思い当たっていたそうです。
ところで、わたしは一生ホヤと海鼠を食すことはないであろうと心に決めていました。
特にホヤはどうも周りの人の話を聞いても、芳しくない。
ですが、もうお分かりですね、はい、このばくらい、ホヤとこのわた(なまこのわた)の塩辛だったのです。
知人が思い当たったのは、ひとつはこのわただと分かるのだけれど、もうひとつがなにか分からないということだったのです。
ということで、私もりっぱにばくらいでホヤ&海鼠デビューをさせていただきました。
ちょっと大人になった気分です。
ホヤは仙台の名物ということで、このばくらいも仙台の名産品として有名だそうです。
きこし召される方は、一度お試しあれ。やみつきになるかもしれませんぞ。
仙台市周辺のばくらい(莫久来)関連の地図
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笹かまぼこ
では、どうして仙台のかまぼこは笹の形をしているのかというと、仙台のかまぼこ業者が、かまぼこを仙台名物にしようと、デザインを伊達家の家紋からとったからだそうです。
ご存知の通り、伊達藩の家紋は「竹に雀」。ということで笹の形にしたということらしいです。
ただ、そもそもなぜ仙台でかまぼこが誕生したかというと、明治時代初期、三陸沖で平目が獲れ過ぎたからというのですから、今考えるとなんとも豪勢な話。
その際、ヒラメの処理に困った(!?)地元の人がヒラメを練り物にして笹の形に焼いたところ、これがめでたく仙台名物として定着。
ヒラメから作られたので、生産当初は「ヒラカマ」とよばれていたそうですが、戦後になって「笹カマボコ」という名前で統一されたということです。
伊達政宗公も、さぞお喜びになっていることでしょう。
仙台市内の笹かまぼこ関連の地図
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牡蠣
カキは世界中で食べられている貝で、日本以外にも、アメリカ、フランス、イギリスなどの多くの国々で養殖されています。
しかし、この世界中のカキのルーツをたどると、宮城県産の牡蠣に行き着くというから驚きです。
宮城県のカキは古くは大正時代から養殖業者によって、アメリカやフランスに種ガキを輸出されてきました。
ですから、アメリカやフランスなどで食べられているカキのほとんどは、宮城県産の牡蠣の子孫ということになります。
さらに、アメリカや、フランスも他国に種ガキを輸出してきた経緯があるので、宮城県産の牡蠣は子孫は世界中に広まることになったのです。
先にも書きましたように、日本で牡蠣の養殖といえば広島も有名なのですが、輸出用には宮城県産の牡蠣がほとんどです。
これは輸出用には宮城県産の方がむいていたということに尽きます。
宮城県産の牡蠣は生命力が強く、昔も生きた状態で輸出できたということと、殻に泥がつきにくく、殻付きの生ガキを食べる外国の国々に好まれたということが主な理由のようです。
生がきの醍醐味は、なんといってもあの殻からつるっと口に入れるところ。
かんでじっくり味わいたいような、それでいて飲み込んだときの、あののどを通る感触を感じたいような……私はいつもそれぞれのおいしさに迷ってしまいます。
もちろん殻に残った汁をのむのもお忘れなく。貝のエキスがたっぷりです。
考えてみると、牡蠣というのは、贅沢な貝ですね。こんなに口福を味わえるのですから。
宮城県のかき関連の地図
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牛タン
肉好きにはたまらない、おいしいお肉です。
ですが、どうして仙台の牛タンが有名なのかと考えると、なぜだろうと思いませんか?
実は仙台は牛タン料理の発祥地なのです。
1952年(昭和27)に日本で初めて牛タン料理をメニューに載せたのが、今も仙台にある「太助」というお店です。
太助
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ことのはじまりは、創業者である佐野啓四郎氏がフランス料理のタンシチューを食べたことです。
戦前、佐野氏は東京の割烹料理店で修行中だったそうですが、そのときにタンシチューを食べる機会があったようです。
実際に食べてみると、「おいしいけれど、日本人には合わない」というのが正直な感想でした。
戦後、仙台で焼き鳥屋を始めましたが、当時、今では考えられないことですが、牛タンとテールは捨てられているほど安い素材だったのです。
そこで、この安価な牛タンとテールを使っていろいろと試行錯誤した結果、塩とこしょうだけで焼くのが一番おいしいということになりました。
テールは、生臭さが消えるようにスープとして工夫された料理になりました。
これが安くておいしいと大人気になって、仙台名物になったわけです。
当時、セットには麦飯がついたのですが、これは終戦直後で白米が大変貴重な時代だったからです。
今なら、さしずめ麦飯は健康食という感じで、売れそうですけれどね。
00.Googleマップと名産品